みなさん 初めまして 平井仁美です。
改めまして、このサイトをご覧になって頂き、感謝申し上げます。DV被害者はどんな状態の人たちであるかについて先に説明させていただきます。
DV被害者のほとんどは、経済力がありません。加害者は被害者を支配しやすくするために、お金を奪うからです。また、人づき合いを制限したり監視したりして、被害者を孤立させます。そして人格否定発言(精神暴力)例えば「こんなこともできないのか」「頭がおかしい」「お前は何もできない」などのセリフを繰り返して、被害者が「私は何もできない人間だ」と思い込むまで追い詰めます。実際に「自分がつまらない人間だ」と思い込んで自信をうしなう人が沢山います。
DVはエスカレートするので、命を奪われる人や自殺する人もいます。また、避難しても心身の障害を残ったり、精神を破壊されてメンタルの病気になったりする人がたくさんいます。ほとんどの被害者が、トラウマやPTSD(侵入性外傷後ストレス障害)をかかえています。日本では、2001年、配偶者からの暴力防止及び被害者保護に関する法律(DV防止法)が成立しました。この法律でDV被害者をとりあえず安全な場所に移す(加害者から逃げることの援助)事が出来ることになりました。DVでは加害者に100%の責任がありますが、実際には被害者が全てを捨てて逃げるしか方法がありません。
現在の行政では「DVから離れる為に別の土地に移住しましょう。安全になったら新しい仕事を見つけて自立してください。生活が厳しいなら社会資源(生活保護、児童扶養手当など)を使いましょう」という所までが限界です。この方法だけで被害者の再建は可能でしょうか?
私には「マイナスをプラスに変える」とういう悲願があります。それは、「寄り添い型」シェルターを創ってこまやかな支援を実施して、被害者の心身の再生を図ることです。被害者が、失った自分をとりもどして、つぶされた自信をとりもどすことができれば笑顔になります。マイナスをプラスに替える。ここまで読んでくださってありがとうございます。
私は元DV被害者です。
夫から避難した施設で見たこと、聞いたこと、感じたことが今の活動の原点です。
施設に来る人は皆ボロボロに傷つき貧困でした。下着の替えもない人がいました。
そして気づきました。ここに来るお子さんは皆学力が低いんです。DV家庭のお子さんの頭の中はいつも恐怖や緊張でいっぱいなので勉強が身につかないんですね。小学校2年生で数を30まで数えられないお子さんがいました。
また4歳で階段を5、6段上がってから妹に跳びかかるお子さんもいました。このお子さんはいつも大人の目を盗んで妹に攻撃をします。「僕は生まれてこなければよかった」と言いました。
児童虐待もDVも加害者に責任がありますが、加害者は皆怒っています。彼らは「怒り」をターゲットに当てるやり方を親や周りから学んだのです。彼らは感情の整理や調整の仕方を知りません。これは経済的貧困のさきにある文化的貧困(どうして腹が立つかを説明できないという知恵や知識の不足)のひとつだと考えます。心が腹をすかせています。
怒鳴る親のお子さんは怒鳴るようになります。黙っている親のお子さんは黙っているようになります。
「怒り」をターゲットに爆発させる人と対照的に「怒り」を自分の中にしまい込む人(黙って我慢する人)もいます。彼らは争いが嫌いですが気持ちを伝えるのが苦手なので、人間関係がうまくいかず自信を失っていきます。これを繰り返すとウツや病気になりますので実は、自分で自分を攻撃しているのに気がついていません。心は満たされずやはりお腹がすいた状態です。これも文化的貧困です。
日本では物品の他にお金で先進医療や時間や手間、遊びなどを買うことができますが、お金がなければそれらを買うことができません。学費を払うお金がなければ高等学校や大学等に行けませんし、塾代がなければ進学塾にも通えません。「お金が力」だと感じる人は多いのではないでしょうか?お金がないとやりたいことができないことが多いんです。
ですから貧困のお子さんたちは不公平を感じます。ひとり親のお子さんたちはなおさらです。不公平感は想い通りにいかないことを増やすので「怒り」につながりやすいですね。
「怒り」を人や物や自分に向けるのはマイナスです。私はどうしたらマイナスをプラスに変えることができるか考えました。施設に入ってから約1年が経過していました。離婚調停が成立して故郷に帰った私は自転車をこぎました。
母子家庭のお子さんに進学のための無料学習会を拓く。
お子さんたちはたくさんの人たちから大切にされる(愛される)ことを実感すれば「自分を大切にするように相手も大切にする」ようになるわ!
私達が無料学習会をスタートさせて約8年が経ちました。貧困ですが生徒さんたちが学習会に通ってきてくれます。地元の国立大学の大学院生たちが順番にボランティア講師として協力してくださるようになりました。成績が上がった時に見せてくれる生徒さんの笑顔は素敵です。いつのまにか私達が生徒さんたちから教えてもらっているのに気づきました。確かに経済的貧困は不幸ですが、文化的貧困と重ならなければ必ず活路が見つかります。
おおた女性ネット代表 宗像さゆり
090-4743-5360
アウェア認定デートDVプログラム・ファシリテーター
アウェア認定DV被害女性ファシリテーター
アウェアとは、DVのない社会を目指して活動する民間団体です。DV被害者支援のひとつの方法として、加害者が更正するためのDV加害者プログラムを 2002年より実施しています。また若者たちにおきているデートDVを防止するためのプログラムを、2003年より実施しています。
原体験 『DV日記』について
私と夫は再婚どうしの結婚でした。交際のきっかけは、私が失恋の痛手に苦しんでいた時に「必ず幸せにするから一緒になって欲しい」という夫の強いアプローチです。交際中は特別な問題はなかったのですが、私が仕事を辞めて、夫の家に転居した日からDVが始まりました。
以下はシェルターに入ってから書いた体験記です。これを読んでいただければDVとはどんなものか解ると思います。しかし、この体験記は内容が重く、ストレスがかかるので、もし読みながら気分が悪くなった方は途中でも中止してください。
DV日記 一同居から脱出までー
同居の初日に初めて恐ろしい夫を見ました。
引越し作業中夫は不機嫌でした。あからさまに目付きが鋭くなり、舌打ちをしたり命令したりしてきました。急激な変化でした。私が趣味で育てていた観葉植物について、
「なんでこんなにたくさんあるんだ!」
「こんなに重い物をこんなにたくさん運ばせるなんて、アアッ!まったく!とんでもない目にあった!こんなひどいめにあったのは初めてだ!前の妻も植物を育てていたが
随分枯らしていたぞ!ベランダに鉢をちらかして植物の死骸だらけだった!植物を持っている奴なんて、ろくな奴がいない!!」
と真っ赤な顔をして怒鳴ります。私と前妻は別人だというと、それがまた勘に触ったらしく、夫のボルテージは益々上がりました。同じセリフを何時間もくりかえして叫びました。私はこれ程長く、激しい叱咤を受けたのは生まれて初めてでした。いったい何が起きたのでしょう?植物の鉢がそんなに悪いことでしょうか?これはきっと何かの間違いで、悪い夢を見ているだけだと思いましたが、夫の罵声は容赦なく続きます。頭がボーッとしてきました。私は恐怖と疲れで、たえられなくなりました。
「お願いだから今日はもう勘弁して欲しい」
と頼みましたが、いっさい聞いてもらえませんでした。私が何か言うと、夫を逆なでするだけだと、この頃はまだ知らなかったのです。夫は飲酒しながら、自身が眠りつくまで私を責めました。
私は、布団についても眠るどころではありませんでした。夫のいびきが耳にはりついて頭の中からガンガンとハンマーでたたきつけるようでした。心臓が飛び跳ね、目の前がグルグルグルグルまわっていたのを覚えています。
こんなはずじゃあない。「必ず幸せにする」と何回も話したのは、確かにこの入だったのに⋯どうしてこんなことになったか、私は自分を責めました。
この日から私は奴隷になりました。
私は引越しから3日目に発熱し、腎孟腎炎に喘息の発作を併発して医者に駆け込みました。おそらく一日中たえまなく続く夫の八つ当たりと、激し過ぎる性を受けた結果です。
奴隷にはセックスを断る権利はないので、どんなにつらくても要求されたら足を開かなければなりません。
私が病気になると、気に入らないようで、わざと枕元でドンドンと足を踏み鳴らしながら歩き回り、ずっと文句を言いつづけました。まるで猛獣です。私はライオンの檻にほうりこまれたウサギのようなものでした。縮みあがって死んだふりをするのが唯一の防衛ですが、結局何の助けにもなりません。ライオンは、ウサギをくわえて金網にたたきつけて、爪を立てて転がし、傷だらけの獲物をわざと殺さないで弄んだりします。これだけ大量の悪態を続けて言えるのはすごいとおもいます。そのパワーには敬服しますが、何時間でも飽きずに痛め続ける様は、正常な人間とは思えませんでした。これからこの人と暮らすのかと思うと、体の一番奥深い処から氷より冷たい物がこみあげてきました。何度も何度も湧いてきて歯がガチガチして、からだが震えました。腎孟腎炎の高熱だけとも思えませんでした。激しい痛みがこみ上げる頭上から、怒鳴り声が降ってくるので、ますます苦しみがつのります。
この後1年間で4回尿路感染症になり、腎孟腎炎をおこしました。いつも残尿感があってだるく、今まで経験したことのない「冷え」がつきまとうようになりました。眠ってもまったく疲れがとれない。左肩から左手小指まで重くて茶碗を持つのもつらい。座ると背中が痛み、左肋骨にピリピリと激痛が走るようになりました。ほんの少し動くだけで冷や汗がでて、動悸、息切れがし、体中に痛みが走って、自立神経の発作が起きます。荷物を持つと気分が悪くなり、耳鳴りがします。下を向くと吐き気がします。目眩で動けなくなります。
同居から暴力の支配が始まりましたが夫が反省した時に、私は信用してそれ迄のメモを捨ててしまったので、その間の記録はありませんが、 日記をはじめます。
19年2月25日
深夜就寝中に、突然どなりつけられて、
「頭痛薬が置いた場所にない!一体この家はどうなっているのだ!」
とさわぐ。見ると所定の場所に頭痛薬はあるが、箱の向きが縦ではなく横を向いていた。箱の「向き」が問題で怒られなければいけない。
19年3月3日
焼き肉店で飲酒後、
「(私の家族が貧困なことをあげて)貧乏は遺伝する」
「全ての不幸はお前の母親が悪いからだ」
「お前の脳みそがおかしい」
とすごい剣幕で言われる。帰宅途中、首をグイッと掴み上げられ、首が後方にのけぞって息が止まる。その夜は怖さと痛みで不眠。
19年3月11日
会社から帰宅するなり(掃除してある居間を見て)
「テレビの上にあったアニメキャラクターの位置が違う。お前が勝手に動かした!」
と言って、烈火の如く怒る。十数センチ移動したのがまずかった。一度怒り出すとなにかに捕りつかれたように叫び続ける。そうなると夫は私の全てを否定する。徹底して心をつぶす。破壊しつくすまで何時間でも続く。
19年4月11日
深夜突然起こされる。電気が点けられており、見上げると夫が仁
王立ちして、
「俺に口答えをする」
と責めたてる。一方的に文句を言い続けた後、夫は眠ってしまった。ショックで朝まで眠れない。
19年4月17日
酒乱。ののしり、責めたてられる。何故こんなに怒るのか理由がわからない。あまりにも叱時が激しくて混乱し、錯乱放心した私は上を見上げて、
「あぁーあぁーあぁー⋯」
とさけび嗚咽した。気がつくと夫は、私をみてにやにやしている。体調悪化。
19年4月18日
就寝中に起こされ、取り留めの無い話を延々と聞かされる。奴
隷には「寝かしてください」と言う権利はない。不眠。
19年4月20日
体調悪い。
19年5月11日
酒乱。
「俺には超能力があるから、俺から離れたらお前は必ず地獄に落ちる」
「お前が逃げても、俺の呪いがお前を殺す」
などの脅しを言う。夫はすさまじい勢いで同じ発言を繰り返す。不眠。
19年5月12日
酒乱。
19年5月25日
外で飲食後、タクシーの中で、
「お前には生活費を渡さない」
と言うので、
「じゃあ離婚だね」
と答えると逆上して、自宅マンションのエントランスホールに私の鞄を投げつける。部屋に入ると、物を蹴り、大声をあげ、ドンドンと足を踏み鳴らしながらぐるぐる回り、わからないことをどなり続ける。翌日はケロリとしている。
19年5月2日
スポーツジムに行った時、私が13分遅刻したのが大問題とされて、一睡もさせてくれない。同じ文句を繰り返して怒鳴る。「ごめんなさい」「気をつけ
ます」と何回謝っても許してくれない。翌朝はケロリとしている。
19年6月23日
夫が自分でエアコンのスイッチを入れたことを忘れて、
「お前が俺の許可なく勝手にスイッチをいれた」
と言いがかりをつける。
「お前とは暮らさない」
「私の前夫から金を取る」
「これから前夫の自宅に行って火を点けてやる」
などの暴言をはく。
19年7月20日
酒乱。深夜(夫が自分で開けた窓について)就寝中に、
「窓が開けっ放しではないか!」
と叫ぶ。無言でいると、
「酒をやめろと言うなら生活費は入れない」
と唐突な脅しを始め、朝まで延々と癇癪がつづく。不眠。
19年7月21日
何もしてないのに突然私の足指の先や上腕に噛みついてくる。
剣歯が刺さって痛いので逃げると激怒し、私のマグカップとコーヒーのカリタを粉々に割る。夫はコーヒーを飲まない。
19年11月5日
デパス(精神安定剤)0.5mg/日の処方を受ける。
19年12月7日
酒乱。私に向かってコップを投げつける。恐ろしい。
20年1月15日
私が結婚前にしていた外貨預金について、
「必ず円高になるから今日中に解約しろ」
と命令される。銀行の対応と私が印鑑を忘れたことに激怒して、車で往復中に暴走しながら激しい文句をいう。あまりにも怖いので赤信号の隙に「もういい」と言って下車して歩き出すと、エンジンを高音で吹かしながら追いかけてきて、
「乗れ!バカヤロー!」
「早く乗れと言っているだろ!」
と車で私を追いたてる。走っても逃げ切れないので観念して乗車すると、さらに荒い暴走運転(急発進、急ブレーキ、急加速、急ハンドル)で揺さぶられ、恐怖と吐き気、目眩がして何も考えられなくなった。銀行に着くと夫は、エレベーターの中で(2人だけだった)ものすごい勢いで壁を蹴った。ゆさゆさ揺れた。
20年1月28日
乳癌オペを受ける。癌は左側で4,5cmだった。外での夫は慈悲ぶかく、完璧な愛妻家なので看護士から、
「優しい旦那さんでうらやましい」
と言われる。
癌の告知を受けたとき私は穏やかでした。死ねば楽になります。それは医者が驚くほどでした。しかし夫は最新鋭の治療を私に施して、私の命をつなげました。加害者は当たる対象が無くなると困るからです。死ねないのはショックでした。
この地点から私は全てを諦めました。夫が怒り出すと感覚をにぶらせて心を亡くすようしました。そのうち現実がぼやけてきました。ただ流れているだけの画面のような世界。自分が自分でない世界。でも痛覚は冴えました。
20年3月7日
外で飲食後酒乱。隣町の人工温泉施設に避難する。施設泊。
20年3月15日
酒乱。5キロ位あるローラー型のマッサージ器を私に向かって投げつける。足元にあった温風ヒーターが「バキッ!」と音をたててペッコリへこんだ。
金属があんな形になってしまうなんて、頭に当たったら死んでいた。
20年3月30日
私が娘の奨学金の保証人になったことが、気に入らなくて一晩中どやされる。一睡もさせてくれない。
「(娘の嫁ぎ先について)あの連中にお前が騙されている」
「俺に内緒で勝手にやりやがって」
「お前の頭が悪いから、前夫や恋人に利用されるんだ!」
と関係ないことで、延々と罵声がつづく。私は「癌の闘病中であり、頼むから寝かせてください」と言ったが、まったく聞き入れられない。目をつぶることも許されない。つらい。ほんの少しでもいいから黙っていてくれないかと叶わぬ望みを抱く。
20年7月26日
土曜日の朝から夫の怒鳴り声で起きる。
「台所の排水溝の流れが悪い!お前がだらしないからだ!」
「これだから頭の悪い奴は使えない」
と大声繰り返す。
20年8月2日
夫の友人宅で私は大量のお酒を飲まされて倒れた。帰りのタクシーで自宅よりかなり手前で下ろされて、
「俺に恥をかかせた」
「いい加減にしろ!バカヤロー!」
と言いながら蹴られる。からだが浮いて後方に激突した。痛みと吐き気でうめくと、夫はさらに逆上して私の服を掴んで引きずった。歩けないので、服だけ抜けてしまい、ブラジャー姿で取り残されると、夫は私のシャツをアスファルトに叩きつけて、私の鞄をむしり取り行ってしまった。財布も携帯電話もない。目がぐるぐる回ってゲロがこみ上げてくるが、吐くものがない。火のように痛い。
あとから考えると不思議だが、私は誰にも助けを求めずに帰った。帰宅すると夫が、風呂を溜めて待ち構えていた。
「入れ!」
と命令する。断ると力ずくで(着衣のまま)浴槽の中に押し込められた。夫は私をなぎ倒し、このときユニットバスが変形した。殺されると思った。翌日鏡を見ると、上腕に10c程の血腫があり、左腿にも痛みがある。2、3日すると左大腿部全体が赤黒く変色した。治るまで二週間かかった。
20年10月17日
腎盂腎炎で受診。
21年1月17日
デパス増量1mg/日。体調不良続く。悪化の一途。
じんう
21年1月19日
腎盂腎炎で受診。
21年4月29日
車で外出した際、斜め前のトラックの運転が気に入らないと車を暴走させて、急ハンドル、急ブレーキ、急加速をくりかえす。耳鳴りと目眩、吐き気に加え、心臓の音が迫って来て胸がギュウッと潰されたようになる。生きた心地がしない。
21年5月4日〜6日
体調崩し寝込む。 私が寝ていると足を踏み鳴らしなが
「グズグズ寝ていやがって、そうやってだらしないから、お前の家系は貧乏なんだ!」
「お前の親も兄弟も子供も、絶対破産してコジキになる!」
と怒鳴り続ける。頭上に衝撃を受けながら、罵声を浴びると、わけがわからなくなる。ただうつろで、夫の怒りが通り過ぎるのを待つ。世の中はゴールデンウィークで連休の為、百数十時間連続の拷問だった。ゴールデンウィークはおそろしい。
21年5月7日
腎孟腎炎で受診。
21年5月16日
腎孟腎炎続く。腰痛、左足、左足先、左肩、左腕、左手小指が痺れて、全身が鉛のように重くて、冷たい。苦しい。痛い。デパス増量2mg/日。
21年6月10日
腎盂腎炎再発。
21年6月16日
腎孟腎炎改善しないので薬を変える。腎臓結石の可能性を指摘される。
21年7月11日
酒乱。徹夜で騒ぎ続ける。私の家族一人一人について事細かく、執拗に批判する。あまりしつこいので聞き流すと、
「俺が今何と言ったか言え」
と詰問され、私が答えられないのでさらに逆上する。
「俺を馬鹿にしてるのか!」
「なにさまだと思っているんだ。いいかげんにしろ」
「命乞いをしろ」
と大声で何回も繰り返す。私が使っている教材をめちゃめちゃに破って玄関に投げる。不眠。
21年7月14日
腎盂腎炎再発。
21年8月
夏の盛りだというのに、猛烈な冷えに襲われる。全身の重だるさ、痛み、寒さが続く。毎日、使い捨てカイロを8個、からだに貼る。
21年9月9日
総合病院でMRI検査。吐き気がするのに車で連れ出され、体調が悪いのが気に入らないと責めたてられる。体調さらに悪化。
21年9月22日
MRI検査の結果がでる。婦人科、腎臓内科、異常なし。更年期障害と言われて、漢方薬治療を始める。
21年10月2日
夫が外で飲酒後、自宅で暴れる。
21年10月10日
酒乱。
「俺から離れたら必ずコジキになる」
「貧乏は遺伝する。全部お前の母親が悪いからだ!」
耳にタコができるほど毎回お馴染みのセリフを、繰り返して怒鳴る。
21年11月28日
飲酒しながら突然言葉の攻撃を始める。何時間も続く。
21年11月29日
朝から癇癪を起こす。(前日の酒が抜けてない)
22年1月5日
朝から晩まで一日中怒鳴る。勢いがとまらない。
「お前が俺を怒らせるのが悪い」
と発言する。身に覚えがない。お正月で毎日深酒しているのが原因ではないだろうか。体調崩し、内科休日受診。
22年1月6日
映画を観にでかける。夫は目をむき出しにして、映画の文句を言う。頭も耳も赤くして目が座っているのは酒乱と同じ。こうなるとお手上げ。
22年1月19日
腎孟腎炎で受診。
22年2月20日
飲酒中、会社の不満をぶつける。あまり執拗なので、
「仕事のストレスを私に当たるのは止めて欲しい」
と言うと、激昂して、
「何言ってる!」
「お前に当たるのは当たり前だ!!」
「それがお前の仕事だろう!」
それから延々と厳しい説教と叱が続く。思ったことを口にしたのがまずかった。
22年2月21日
朝から癇癪。昨日の続きで一日中怒られる。
22年2月28日
運転中に「イライラ」が始まって叱られる。すれ違う車の年式と、値段をべらべらとしゃべり続ける。その後私の身内の誹謗中傷へつづく。エンドレス。
22年3月6日
「お前は短命だ!」
と大声でわめく。くりかえす。私がうんざりしていると切れて、炊飯器を床に叩つける。炊飯器破損。
22年3月7日
一日中、不安定に絡む。何も言わずに一人で出かけ、新しい炊飯器を買って帰る。動悸が止まらない。
22年3月14日
夫の母親について怒りだし、朝から晩まで私に当たる。息を吐く暇もなく責められる。
22年3月17日
夫が鞄を電車に置き忘れて帰宅。夕食を中断して終点地まで連れて行かれる。突然の長距離ドライブで深夜帰宅。荒い運転で憔悴し体調悪化。不眠。
22年4月21日
腎盂腎炎で受診。
22年4月26日
腎孟腎炎改善しない。受診。薬変える。
22年4月30日
酒乱。一日中騒ぎ続ける。ゴールデンウィークと正月は必ず荒れる。連続飲酒はおそろしい。
22年5月1日
飲酒しながら足指に噛み付いてくる。「痛い」と言うと喜んで余計に噛む。夫の剣歯は本当に痛い。腹が立つけど抗議したらとんでもないことになるので、我慢するしかない。歯形が穴になった。完治に3日かかる。
22年5月6日
腎盂腎炎で受診。
22年5月11日
帰宅するなり切れまくる。なにがなんだかわからない。涙が止まらない。不眠。体調悪化。
22年5月12日
腎孟腎炎続く。受診。
22年7月2日
腎盂腎炎で受診。
22年7月9日
酒乱。背後から物を投げつけて電子レンジにあたり、扉が粉々になって破片が飛びちる。人工温泉施設に行く。施設泊。不眠。体調悪化。
22年7月10日
腎孟腎炎で受診。薬替える。
22年7月17日
腎盂腎炎続く。受診。
この頃全身の「冷え」が、さらに悪化しました。寒いのに入浴すると卒倒をおこしてしまいます。顔や手が緑色になりました。もう体重を支えるのが苦痛で、立っても座っても横になってもつらいです。眠れません。いつも疲れています。光がまぶしく刺さります。音はさらに突き刺ささります。特に高音は私を引っ掻きまわします。甲高い夫の声は武器となって容赦なくさいなむのです。鳴呼。このまま死ぬのだろう。何もない。痛い。
22年8月
「冷え」に加えて、体の痺れ、痛みが悪化する。夫と性交した翌日に必ず悪くなることに気づく。もしかしたら骨が痛いのではないかと思った。今年も使い
捨てカイロを貼る。カイロがなかなか売っていない。
22年9月4日
整形外科受診。第4、5、6番頚椎へルニア。第5、6番腰椎へルニアと診断される。首の牽引で歯が砕けてしまい歯科通院も始める。牽引すると燃えるような痛みが襲うが、猛烈な「冷え」が良くなる感じがする。
私は夫にセックスの免除を申し入れました。止めると以後一度も腎孟腎炎の発症はありません。しかし夫の私への執着、支配欲はさらに強くなったように思います。
22年9月5日
夫がアイパットを購入して帰宅。深夜就寝中に、
「起きろ!バカヤロー!」
「どけ!!」
とたたき起こされる。「アイパットが通じない」ので私が怒鳴られる。うとうとすると再び
怒鳴られる。まだつながらないのだ。
22年10月16日
カラオケ店で酒乱。
夫が曲を入力して私に歌えと命令する。私が下手だったので切れる。逃げ出すと、夫がダッシュして来る。無我夢中で交番に向かったが迫って来る夫の気配を感じ、やむなく手前のホテルに駆け込んで助けを求めようとした。しかしそこは無人だった。私が立ち止まると夫がタックルした。次の瞬間、体が吹き飛んでコンクリートに叩きつけられた。目から火花が走る。コートが裂けた。二人きりになってしまった。思わず、
「助けて!!警察を呼んでください!」
「誰か来て!殺される!」
夢中で叫んだ。
警察が来て私はビジネスホテルに行くことになった。交番でも興奮した夫は、
「離婚するから家の鍵を置いていけ!」
と叫ぶので鍵を警官に渡す。交番で私は、自分が失禁していることに気づいた。ホテルで入浴した。ほっとしたところで夫から電話がはいり、
「ママ。いい子になったから、来て。鍵返すよ」
甘える時の赤ちゃん声だ。
「お酒、覚めたの?」
「うん」
指定された店にいくと夫は、カウンターでビールを飲んでいた。グラスの脇に鍵が置いてあり、私が鍵をしまうと
「お前の男関係を全部警察に言っておいたぞ」
「これからお前の前夫に電話するから、お前の携帯をだせ」
「前夫の番号を言え!」
「知らない」
と言った瞬間、夫は私の携帯電話を割った。私は走った。また騙された。いい子になったなんて大嘘じゃない。つけられてないか、用心してホテルに戻った。全身がグルグルまわり、ズキズキする。不眠。
22年10月20日
整形外科で
「背中が腫れていますね。何かありましたか?」
と聞かれ、
「夫に張り倒されました」
と言うと、それ以上何も言われなかった。でも指先から暖かい心が入ってくるのがわかった。帰りながら泣いた。夫はものすごい剣幕で、
「そいつは何ていう名前か言え!」
と迫る。私に同情した人に夫が攻撃するのはわかっている。反省した。毎日何があったか報告の義務を負わされているが、質問に正直に話してはいけない。夜酒乱。痛み。
22年10月23日
一日中イライラして、私に当たる。ペットの餌を買いに出かけるが、暴走運転で体調悪化。
22年12月3日
酒乱。一晩中からみ続ける。不眠。
23年1月2日
次女の婚家の新年会に呼ばれる。帰りの電車で、
「次女は早死にする」
「あの家の奴らが次女の稼ぎを全部吸い取る」
「あいつらは、頭がおかしい」
「あの家は必ず破産する」
と私の耳に口を近づけて延々と喋り続ける。サイクルトレーニングのようにくりかえす。逆らうと大変だから、ハイ、ハイとうなずくしかない。娘の悪口に同調しなければならないなんて情けない。
23年1月11日
ソラナックス(精神安定剤)0.4/日。追加される。
23年1月14日
外で飲酒中、長女の婿の実家に脅迫電話を何回もいれる。
23年3月22日
ペットが怪我をしたことについて、ものすごい形相で責める。
23年3月28日
大癇癪をおこす。
23年6 月22〜30日
ラテックスアレルギーでアナフェラキシー(大発作)おこしかける。口の中が腫れ上がる。手先が痛い。何に触れても激痛がする。4日間何も食べられない5kgやせる。
23年7月1日
酒乱。体調悪化。
23年7月3日
はげしい動悸。体調悪化。
23年7月4日
動悸がつづく。くるしい。
23年8月4日
大きな癇癪をおこす。洗濯ハンガーをバラバラに分解する。
23年8月5日
朝から大荒れで怖くなり、ビジネスホテル泊。携帯に脅迫電話がはいる。
23年8月6日
飲酒しながら絵をかいて見せながら、
「お前が逃げたらこうなる。殺してバラバラにして山に埋めてやる」
と言われる。
23年9月9日
避難のためにビジネスホテル泊。
23年9月19日
朝から言いがかりをつけ、文句を言いつづける。不眠。
この頃夫は晩酌をやめました。しかし短気はさらに短くなりました。生活の全てが夫の「気分」で決定されますが、おかげでいつも緊張しています。
23年10月1日
朝から廊下をドンドンさせながら、怒鳴りちらす。新しい冷蔵庫が配達されるので、興奮したようだ。
23年10月2日
新しい冷蔵庫の扉が開けにくいと言ったのが発端で激怒する。
「お前がいいと言ったから買ったのに、その態度はなんだ!」
何回謝っても許されず、延々とくりかえす
23年12月1日
風呂の蛇口の向きがシャワーになっていたことをとりあげて、
「なにやってんだ!バカが!」
「まったく頭の悪いオンナだ。俺を殺すきか!!」
と大声で怒鳴る。
24年1月20日
酒乱。深夜1時から大声をあげる。猛烈な勢いで警察にクレーム電話をしている。不眠。
24年1月21日
飲酒を注意すると首を掴んで投げられる。リハビリで良くなってきた頚稚ヘルニアが悪化した。6番頚椎から神経が飛び出してしまい、呼吸が苦しく、激痛が続く。夫はランプを破壊し、5年使った私のマグカップも破壊する。
「離婚したらお前を殺す」
「お前だけは絶対に許さない」
「酒をやめると言ったことは1度もない」
「どこへ逃げても見つけ出して殺してやる」
お前の身内全員の職場に手を入れて全員の職がなくなるようにしてやる。などと言われる。
24年1月22〜26日
息が苦しい。
24年1月27日
18:30に風呂の用意が出来ていないことに腹をたてて、
「専業主婦のくせに風呂もわかさないなんて、何を考えてるんだ!家の仕事をしないならとっとと外へ働きに行け!!」
「医療費をつかいすぎる」
「なんて金のかかる女だ」
と繰り返し怒鳴る。
24年3月8日
帰宅するなり
「俺が入れたコンセントが何故抜かれているんだ。説明しろ」
と脅す。
24年3月9日
デパス増量一日に3mg
24年3月13日
DV相談。相談員から私は相談ではなくて、保護の対象だと教えられる。逃げるなら早いほうが良いと聞く。
24年3月14日 漢方薬(ヨクカンサン)追加(安定剤)
24年3月30日
自宅から保護施設に移る。
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